臆病な自尊心と部屋とYシャツと私

音楽の事を主に書きます。

Number Girl 再結成に寄せて~僕のOMOIDE IN MY HEAD~

2月15日、少し早いお昼を済ませた後、何気なく僕はTwitterを見ていた。

タイムラインにあった文字は、よく見慣れたものであり、しかしここではさほど見ないものだった。

 

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N u m b e r  G i r l  再 結 成

 

正直、自分の目が信じられなかった。会社で叫びそうになった。

夢を見ているのか。夢でなら何度も見た光景だ。

しかし、現実だった。あのNumber Girlが帰ってくる。

イヤホンの向こうから聴こえていた。デジタルの映像の向こうで演奏していた。

僕は体験することができなかった。Number Girlのライブを見ることができる。

Twitterでも連投しているけれど、やはり140字では足りない。

これは、Number Girlに、向井秀徳に、人生を狂わされた僕のOMOIDEの話です。

 

Number Girlとの出会いは中学2年生の頃だった。

当時の僕はアジカンを聴き始めていたこともあり、ロックというものに関心を持ち始めていた時でした。

友達から「これ聴いてみ」と言われ、「サッポロOMOIDE IN MY HEAD」のDisc1だけ貸してもらった。

それは、今までに聴いたことのない感じであり、それまでは、曲というものはボーカルがちゃんと聴こえていないとダメであるとか、歌詞にはメッセージ性がないとダメとか思っていた頃だったので、最初は「なんじゃこりゃ、変なバンドやなあ」と思っていたものです。

しかし、聴いていくうちに、なんとも言えない胸の内から湧き上がってくるような衝動を感じるようになっていった。まさに、センチメンタルという感覚をこの時に獲得したと思います。

最初は「アジカンも好きらしい」というミーハーなところからこのバンドを聴いていた。N・G・Sとかもあったしね。

いつの間にかウォークマンで聴くバンドはアクアタイムズとかグリーンとかから、ナンバガとかミッシェルとかアジカンとかになっていた。でも、ラッドとかバンプも普通に好きだった。

ただ、中学の頃はアルバムごとに聴くという事はしていなかった。ずっとサッポロのライブアルバムを聴いていた。どんな中学生だ。友達からはIGGY POP FANCLUBのコードを教えてもらってずっとそれを弾いていた

時は過ぎ、高校に進学して、友達とは別の高校に行った。僕は野球部だったので、会う回数は減ったが、高校でもNumber Girlを知っている友達ができた。そいつからは「School Girl Bye Bye」という、今まで聴いたことのないアルバムを貸してもらった。

今ではとても好きなアルバム、ことある毎に好きだと言っているのだが、最初に聴いた時はあんまりいい印象ではなかった。

IGGY POP FAN CLUBやOMOIDE IN MY HEADはライブから聴いていたので、CD音源は正直肩透かしを食らった気分になった。しかも歌詞カードは手書きでぐちゃぐちゃ書かれたものが印刷されている。インディーズの時だしこんなものかと思ってしまってもいた。

でもなぜか、いつの間にか僕の青春の1枚になっていたのが、このアルバムだったのです。好きになった経緯はもう覚えていない。いつの間にか、センチメンタル過剰なこのアルバムの虜となっていました。

しかし、野球部だったのでバンドを組むこともできず、僅かな自由時間と少ないお小遣いのなかからBOOK・OFFの500円コーナーでCDを買い漁り、家で安いギターをテキトーに引く日々だった。

思い返せば僕の青春時代は、プロ野球選手よりも向井秀徳に憧れてしまったし、甲子園に出ている同年代の高校球児より、閃光ライオットに出ているバンド達を見ていた。完全に入る部活を間違えてしまった感じでした。

それでも、野球をするのは楽しかったので、一応3年間続けました。途中ストレスから体に不調が出た時があるけどここでは割愛します。

本格的に音楽漬けになっていったのは僕が大学に合格した後からでした。

手始めに、ちょくちょく通っていた中古楽器屋さんで、フェンダージャパンのジャズマスターを買いました。もちろんサンバースト。

その3か月後、島村楽器でなぜか売っていたカスタムショップのジャズマスターを買いました。37万円でした。バイトを始めて2年かけて支払った…。こちらもサンバースト。

今考えても頭悪い買い方してますが、後悔は微塵もないです。ジャパンの方は手放してしまいましたが、カスタムショップの方は今でも愛用しています。

向井秀徳に憧れていましたが、ギタリストとしては「田淵ひさ子のあの音が出したい!!」の一心でした。しかし、あの音は出せません。たぶん、気合で出している。

一方、スタイルというか、外見やしゃべり方は向井秀徳にどんどん寄っていきました。はたから見たらヤバいやつです。バリヤバい。

意地でも眼鏡から変えなかったのは、向井秀徳になりたかったからです。あとゴッチとか。

口調に関しては、いつの間にかよっていたみたいです。そりゃ中学の時から聴いていたらそうなるわ。

大学では念願の軽音学部に入りました。頑張って練習していたゲットアップルーシーとかCIBICCOさんとかを部室で弾いていました。先輩とは仲良くなれました。ただ、同年代からの理解は得られなかった。

しかし、Number Girlは4回生の時に1度しかできませんでした。今思えばもっとやりたかった。大学時代は大体ミッシェルのコピバンをやっていました。僕はチバだった。そして、高校の友達がアベだった。先輩を無理やり誘ってやっていた。

その、1度だけやったNumber Girlも、「鉄風鋭くなって」はまだわかるけれども、「NUM-AMI-DUBUTZ」をやってしまったのはやりすぎである。歌詞を覚えるために、バイト中に口ずさんでいたので、完全に不審者である。

ただ、このコピバンで出たライブで、知らない人のブログでめちゃくちゃほめてもらえたのはすごく嬉しかったです。あの時の僕は完全に向井秀徳だった。

Number Girlを好きな女の子とも仲良くなった。しかし、いつの間にか連絡を取れなくなってしまった。付き合ってもいなかったので、どうというわけでもないですが。きっとあの娘は透明少女。

そんなこんなで大学を卒業し、社会人になってしまいました。バンドはできていないけれど、ギターは弾いています。曲も少し作っています。初めてZAZEN BOYSのライブにも行けました。向井秀徳ソロも見に行けました。

来月からは福井に行きます。しかし、僕はバンドを組みます。ナンバガが復活したこの年しかないと思っています。バンドを組めなくても一人でもライブに出ます。

キンミヤのレモンチューハイの2杯目を飲みながら書いているので、文章は支離滅裂の殴り書きです。すいません。だけれども、今日中に文章にしたかった。

僕にNumber Girlを教えてくれた中学の友達と、RISING SUNに行く予定を立てている。チケットの抽選は申し込んだ。会社は必ず有休をとる。とれなかったら辞める。

僕たちの止まっていた青春が今動き出そうとしている。

今日はずっとNumber Girlを聴いている。

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